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三社神社

三社神社

三社神社は,新潟駅の北1キロメートルに鎮座する。
発祥は,この地が信濃川の中洲だったころ,延享四年(1747)にさかのぼる。
かつてこの一帯は信濃川河口の中洲で,附寄島と称した。しばしば洪水に悩まされていたが,安倍玄的(村松藩御典医)が長岡藩からこの地の開拓権を得て開拓に着手した。
その事業にあたって祠を設けたのがこの神社の起源である。
玄的の開拓地は長岡藩に属したが,弘化元年(1844)には幕府の直轄領となり,そのさい「流作場」と改称(今も近くに「流作場五差路」という地名が残る)。
神社は「玄的のお宮」「流作場太神宮」などと呼ばれていたが,明治の初めに「三社神社」と改められた。

祭神は大日靈貴尊(オホヒルメムチノミコト)誉田別尊(ホムタワケノミコト)武甕槌命(タケミカツチノミコト)。文化十四年(1817)に三柱を合わせたという。
また境内に石宮大神を祭る石宮神社が鎮座する。

新潟市三和町1-1:JR 新潟駅から徒歩15分。)
2002.6.13   新潟市神社探訪から引用