流作場どっと萬代

身の周り 地域のはてな(⌒▽⌒)

2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

流作場 「玄的の念吉亀」 伝説、祟り

玄的の念吉亀「新潟古老百話」編者:鏡淵九六郎此処は安倍様の先祖の玄的というお医者が一番先に住宅を構えたので、玄的村の名前が起こった。大川の流れに土地が崩れて、安倍様も元屋敷から現在のところへ移ったのだそうで、私の幼い時分土地がかける?ける盛…

小学校で 教育支援依頼「キャリア教育」 第2講 まちで何が

商業活動について経済活動はその時代にあった物を見出して、消費者のニーズに合わせていかなければなりません。それは外部との接点をもたないとその情報を仕入れることは出来ません。いつも同じ人と同じ事を話し、同じ事をしていたら進歩しません。皆さんの…

流作田と流作場

附寄島は寛延三年(1750年)に開墾は終了しました。完了した土地は標準石高804石1斗6合という美田となったが、度々の洪水で実収高はせいぜい500石程度で租税額決定し難い「流作田」となった。この「流作田」が訛っていつしか流作場となって土地台帳…

小学校で教育支援依頼「キャリア教育」 第1講

―自分たちの街で今ー於いて:地域の小学校2009年2月24日皆さんこんにちは私は、万代町通りで不動産屋の仕事をしております。田所といいます。学校の正門を出て万代町通りの団子屋さんの向かい側です。IT商店会を立ち上げた訳今日は、私が商店街のお店…

流作場歴史講座(2)

流作場歴史講座2.流作場の語源(本当の歴史的意味) 流作場は江戸時代の寛文、延宝の頃より信濃川の中洲にできた大小無数の島嶼が長い願い年月を経て寄り付いて大きな島を形成した。新潟町と沼垂とでその帰属を争ったが幕府評定所の採決により当時親藩大名…