流作場どっと萬代

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万代小の敷地経歴について。

◆ 新潟市東万代町79番地
(万代小体育館敷地の一部)
個人篤志家より新潟市へ譲渡

◆ 新潟市東万代町80番地
個人篤志より新潟市へ譲渡

◆ 新潟市東万代町777−4
個人篤志家より新潟市へ譲渡

昭和26年、当時の万代小学校:竹山校長先生によりますと新潟市はグランドを学校敷地として、その譲渡を要請した。万代小の父兄であり卒業生である、〇〇さん、〇〇さんら、その他関係者は「(坪500円という地価は今では夢のような話ですが)みな万代小の父兄であって、子供のためにと」当時としても破格の値段で手放すことを快諾し、新潟市に譲渡されたと記述されております。

● 万代小の敷地。
安倍玄的外5名の地域開発の先人が、2,750両の下請金を上納して開拓した土地が、時代とともに民地としてまたは公共の用地として利用されてきました。今この地に住む私たちの原点が、古くは当時この地域の人たちの共同作業によってつくられた土地だいうことです。未来へこの土地を引き継ぐ時、高いビジョンが今の私たちに必要だと思います。