流作場どっと萬代

身の周り 地域のはてな(⌒▽⌒)

2010-01-01から1年間の記事一覧

発展する流作場(流作場のおいたち−16)

今、万代橋の上に立って心地よいそよ風にふかれながら、流作場のほうを見わたすと、はるかにうちつづく越後の山々を背にして、大きな建物がぎっしりと立ち並び、ゆうゆうと流れる信濃川に、その姿をうつしています。きれいにほそうされた大通りをひっきりな…

埋立工事(流作場のおいたち−15)

昭和6年に信濃川の埋め立て工事もできあがると、鉄道局をはじめ、大きな役所や会社、工場、商店などがつぎつぎにできあがり、昔あしのはえしげっていた川もいまでは見違えるほどのりっぱな町に変わってしまいました。 さあ、いまこの流作場にどれだけの家が…

万代校ができたころ(流作場のおいたち−14)

このように交通が便利になったり、港がさかんになったり、新潟がはってんするにつれて、流作場もだんだんはってんしてまいりましたが、万代校のできたのも流作場の発展に大いに関係があります。明治6年義務教育のきまりができて、どんな人でも学校にはいらな…

新潟市にふくまれる(流作場のおいたち−13)

明治元年に新潟港が五港の一つとして開かれてからは、外国の船も入ってくるようになって、だんだん、新潟の町もはってんしてきましたが、港は流されてくる、土や砂のために浅くなり、何とかしなければならないありさまでした。その上日露戦争の後、けいきが…

沼垂町にふくまれた(流作場のおいたち−12)

明治22年、今から約60年前、新潟は関屋を含めて新潟市となりました。このとき流作場は長嶺や蒲原といっしょに、中蒲原郡沼垂町にふくまれました。明治31年、沼垂駅ができ、直江津との間に北越鉄道がかけられました。この時いろいろの問題で栗の木川の…

万代橋と新道(流作場のおいたちー11)

明治19年、今から65年ほど前に万代橋と新道ができました。そのころの万代橋は木でつくったもので、三叉路のところまでかかていました。だから今の橋の二倍もある長い橋だったわけですね。道のはばは今の半分くらいですが、新道と沼垂との行き来が便利に…

70年前(流作場のおいたちー10)

新道は今から65年前明治19年に、万代橋といっしょにできました。それより前の様子を第8図見てください。道がどのようについていますか。今のどの道が昔の大事な道だったのでしょうか。前の図とくらべてみて気のつくことは、信濃川と、古信濃川にそって…

[地域 歴史 110年前(流作場のおいたち−9)

第7図は今から110年前をあらわしたものです。信濃川の川べりのようすはどうでしょう。学校の北側(大和町との間)の川がずいぶんひろいのにおどろかされますね。小島掘りのようすをごらんなさい。点線にしめしてあるところが、今の万代橋や新道(学校前…

天下領(流作場のおいたち−8)

その後今から110年ほど前になって、新潟町は長岡の殿様の領分からはなれて、徳川幕府じきじきの領分となりました。そこで附寄島も流作場新田とよんで幕府じきじきの領分となり、新潟奉行が治めることにことになりました。このころ幕府じきじきの領分を「…

附寄島の開発(流作場のおいたちー4)

ところが今から200年前に長岡の殿様が新潟町の近江屋曽平、寺山幸助という人や、高橋村の中倉源兵衛、片桐村の関川助市、それは、五泉町の安倍玄的という人たちにいいつけて、この附寄島を開拓させました。開発というのは草や木がはえしげってあれはてて…

附寄島の検地(流作場のおいたちー7)

寛延3年(今から200年前)に、長岡の殿様は附寄島を検地しました。検地というのは土地を測量してその土地がどれだけの作物がとれるかしらべ、どれだけの租税(税金のこと)を取り立てるかを決めることなのです。附寄島の人々は検地にこ作物が流されて困…

新潟と沼垂のあらそい 流作場のおいたちー6)

このようにして、附寄島は開発されましたが、この島がどこの領分であるかということについて、新潟の街と沼垂の町はずいぶんあらそっていました。そのころ長岡の殿様の領分であったし、沼垂町は新発田の殿様の領分であったのです。沼垂の人々は「附寄島は沼垂…

安倍玄的(流作場の開発人) (流作場のおいたちー5)

この開発にもっとも力をつくした人は、安倍玄的という人でした。安倍さんはお医者さんでしたので、この土地の人々をはじめ、遠いところの人々までが、病気になると安倍さんをたよってやってきました。そして安倍さんはたくさんの人々からしたわれました。そ…

附寄島の開発(流作場のおいたち−3)

ところが今から200年前に長岡の殿様が新潟町の近江屋曽平、寺山幸助という人や、高橋村の中倉源兵衛、片桐村の関川助市、それは、五泉町の安倍玄的という人たちにいいつけて、この附寄島を開拓させました。開発というのは草や木がはえしげってあれはてて…

流作場のおいたち-1 はじめに (新潟市万代小学校:竹山洋一郎)

私たちの町がどのようにして生まれたかについて昭和26年万代小学校の30周年記念に当時の校長先生が子供たちのために書いた「流作場のおいたち」です。大変シンプルに書いておられ、勉強する材料としてはよいテキストになると考えますので、ここに何回かに…

新しい年の幕開けです

あなたにとって素敵な一年になりますように 今年もよろしくお願いします 平成二十二年 元旦今年は、キーワード「流作場」を再認識することだと考えまして、新企画を皆様に提案いたしますのでちょっとお待ちください。