流作場どっと萬代

身の周り 地域のはてな(⌒▽⌒)

2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

附寄島の開発(流作場のおいたちー4)

ところが今から200年前に長岡の殿様が新潟町の近江屋曽平、寺山幸助という人や、高橋村の中倉源兵衛、片桐村の関川助市、それは、五泉町の安倍玄的という人たちにいいつけて、この附寄島を開拓させました。開発というのは草や木がはえしげってあれはてて…

附寄島の検地(流作場のおいたちー7)

寛延3年(今から200年前)に、長岡の殿様は附寄島を検地しました。検地というのは土地を測量してその土地がどれだけの作物がとれるかしらべ、どれだけの租税(税金のこと)を取り立てるかを決めることなのです。附寄島の人々は検地にこ作物が流されて困…

新潟と沼垂のあらそい 流作場のおいたちー6)

このようにして、附寄島は開発されましたが、この島がどこの領分であるかということについて、新潟の街と沼垂の町はずいぶんあらそっていました。そのころ長岡の殿様の領分であったし、沼垂町は新発田の殿様の領分であったのです。沼垂の人々は「附寄島は沼垂…

安倍玄的(流作場の開発人) (流作場のおいたちー5)

この開発にもっとも力をつくした人は、安倍玄的という人でした。安倍さんはお医者さんでしたので、この土地の人々をはじめ、遠いところの人々までが、病気になると安倍さんをたよってやってきました。そして安倍さんはたくさんの人々からしたわれました。そ…

附寄島の開発(流作場のおいたち−3)

ところが今から200年前に長岡の殿様が新潟町の近江屋曽平、寺山幸助という人や、高橋村の中倉源兵衛、片桐村の関川助市、それは、五泉町の安倍玄的という人たちにいいつけて、この附寄島を開拓させました。開発というのは草や木がはえしげってあれはてて…

流作場のおいたち-1 はじめに (新潟市万代小学校:竹山洋一郎)

私たちの町がどのようにして生まれたかについて昭和26年万代小学校の30周年記念に当時の校長先生が子供たちのために書いた「流作場のおいたち」です。大変シンプルに書いておられ、勉強する材料としてはよいテキストになると考えますので、ここに何回かに…

新しい年の幕開けです

あなたにとって素敵な一年になりますように 今年もよろしくお願いします 平成二十二年 元旦今年は、キーワード「流作場」を再認識することだと考えまして、新企画を皆様に提案いたしますのでちょっとお待ちください。