流作場どっと萬代

身の周り 地域のはてな(⌒▽⌒)

2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

新潟市にふくまれる(流作場のおいたち−13)

明治元年に新潟港が五港の一つとして開かれてからは、外国の船も入ってくるようになって、だんだん、新潟の町もはってんしてきましたが、港は流されてくる、土や砂のために浅くなり、何とかしなければならないありさまでした。その上日露戦争の後、けいきが…

沼垂町にふくまれた(流作場のおいたち−12)

明治22年、今から約60年前、新潟は関屋を含めて新潟市となりました。このとき流作場は長嶺や蒲原といっしょに、中蒲原郡沼垂町にふくまれました。明治31年、沼垂駅ができ、直江津との間に北越鉄道がかけられました。この時いろいろの問題で栗の木川の…

万代橋と新道(流作場のおいたちー11)

明治19年、今から65年ほど前に万代橋と新道ができました。そのころの万代橋は木でつくったもので、三叉路のところまでかかていました。だから今の橋の二倍もある長い橋だったわけですね。道のはばは今の半分くらいですが、新道と沼垂との行き来が便利に…