流作場どっと萬代

身の周り 地域のはてな(⌒▽⌒)

地域 歴史

小学校で 教育支援依頼「キャリア教育」 第2講 まちで何が

商業活動について経済活動はその時代にあった物を見出して、消費者のニーズに合わせていかなければなりません。それは外部との接点をもたないとその情報を仕入れることは出来ません。いつも同じ人と同じ事を話し、同じ事をしていたら進歩しません。皆さんの…

流作田と流作場

附寄島は寛延三年(1750年)に開墾は終了しました。完了した土地は標準石高804石1斗6合という美田となったが、度々の洪水で実収高はせいぜい500石程度で租税額決定し難い「流作田」となった。この「流作田」が訛っていつしか流作場となって土地台帳…

小学校で教育支援依頼「キャリア教育」 第1講

―自分たちの街で今ー於いて:地域の小学校2009年2月24日皆さんこんにちは私は、万代町通りで不動産屋の仕事をしております。田所といいます。学校の正門を出て万代町通りの団子屋さんの向かい側です。IT商店会を立ち上げた訳今日は、私が商店街のお店…

流作場歴史講座(2)

流作場歴史講座2.流作場の語源(本当の歴史的意味) 流作場は江戸時代の寛文、延宝の頃より信濃川の中洲にできた大小無数の島嶼が長い願い年月を経て寄り付いて大きな島を形成した。新潟町と沼垂とでその帰属を争ったが幕府評定所の採決により当時親藩大名…

流作場歴史講座(1)

三社宮司大橋様の流作場講座 平成20年10月30日PM2:00三社神社で宮司:大橋様インタビュー聞き手:事務局:田所暁雄、JUNK:飯田洋子1.なぜ消えた流作場の地名昭和30年代後半より新潟市の中心街は固より郊外へ新しい住宅地の開発が進められていた。…

流作場の沿革 NO1

流作場の沿革寛永8年9月20日(1,631年)信濃川と阿賀野川を結ぶ細流加茂屋堀が洪水のため決壊した。両大河の流れ港口において決壊した。元禄10年(1,697年)信濃川13を数える中洲島の占有権をめぐり新潟と沼垂争う。(第2回港訴訟)元禄…

沼垂記の復刻

9月12日(第2金曜日例会)沼垂の今昔を語る会が、郷土史研究家:小林存先生執筆の「沼垂記」を新潟市立中央図書館のご厚意により復刻版を上梓しました。郷土史研究の面白さを体得するによい参考書となります。この会は会長:後藤 昇氏が主宰する会合です。…

祭りの休憩所

恒例の新潟祭りにあわせて今年も商店街の姉さんたちが休憩所でお弁当類の販売に取り組み好評でした。万代町通りで住吉行列、川村奉行行列を見ながらみんな楽しそうに見物していました。 流作場と沼垂の祭り三社神社8月28日 遷御祭 29日〜30日 神輿巡…

川村奉行行列

8月9日新潟祭りの住吉行列にあわせ、その先頭をきって「川村奉行行列」を江東地区実行委員会が実施しました。オークラホテル前から栗の木バイパスまで、武士団の衣装を着て柾谷小路から万代橋を渡り、流作場五差路を左折し、万代町通りを経由して総勢100名ほど…

沼垂の今昔(新潟市)

後藤昇氏が主催する「沼垂の今昔を語る会」の例会が新潟市の東庁舎3Fで開かれました。今回は元市役所土木課勤務で現在退職しておられる方で、桜井進一氏が特に昭和40年代当時の写真を展示されて、その当時の思い出話をされました。新潟日報から出版され…

郷土史研究

新潟市中央区東地区公民館で夜開かれている 沼垂の今昔を語る会 (郷土史研究) についてどんな内容で、どんな方たちが参加しているのか。流作場と沼垂の歴史のさまざまの接点がどんな風に絡まりあってきたのか。興味ある点です。流作場The万代IT商店会(新…

猫の目通信@流作場

新潟市の流作場に関して新たに地域のことに関心をもつ JUNKプロジェクトの商標デザインと編集制作の会社がblogの 猫の目通信@流作場を立ち上げてくれました。http://nonnbili.blog45.fc2.com/ちょっとのぞいてください。また流作場地区の商店街がホームペー…

流作場The万代IT商店会

私たちの万代町通は、明治19年の一代目与路津世橋「萬代橋」が架橋されたおり、その付帯事業として新潟県令篠崎五郎が流作場新田小島の橋端より、沼垂町西横町に至る間に県道を開拓しました。これが現在の万代町通りで、当時は(新道)と呼んでメインスト…

流作場歴史講座

11月10日、17日、24日、12月1日の各土曜日2時〜4時 新潟市東地区公民館で三社神社宮司:大橋 毅 様の「流作場の歴史講座」があります。玄的もん、長岡藩の天領であったこと。阿倍玄的の開拓で開かれたこと。流作田とよばれて川掛けでたびたび沼…

桜井の収監はなぜ?

新潟市長にまでなって人望を集めた「桜井市作」が業務上横領の罪で新潟監獄に収監された。大正8年1月6日のことであった。桜井という人の人物像はどんな人か。こんな人物が新潟市の歴史上いたことに大変興味をもった。それらの歴史の積み重ねが今の新潟市…

新潟・沼垂合併

明治30年北越鉄道の終着駅をめぐる対立から爆破事件が起き、新潟と沼垂は埋めがたい不信感と確執が生まれた。このときの首謀者である桜井市作が後に新潟市長となっていることはこのときの複雑な事情が反映してのことだろう。新潟日報07年6月6日よりこれほど…

流作場保育園

新潟市に流作場保育園がありました。公共施設でこの名前をつけたところはなかなかありません。ないないと思ったものがあったです。

「念吉亀」伝説について

悪行が過ぎて信濃川に投げ込まれた流作場(新潟市)の念吉。死後、亀に化けて「川欠け」(浸食)を起こしたというのが伝説だが、流作場鎮守の三社神社の宮司、大橋毅さん(67)は「念吉は幼名で当時15、6歳。投げ込まれた後も生き延びたようだ」と話す。 大…

新潟 流作場のまち

流作場 この言葉は今死語に近い新潟の町名です。新潟駅から15分の圏内にあり、大変便利なところです。昔、信濃川の氾濫のたびに川がけがあり、何度も何度も住まいを流されたそうです。今はそんなことはありません。先人は大いに苦労してこの地域の開発に取り…